ストーリーテリングについて語るブログ

「自分」を超える

この数ヶ月、私には取り組んでいたことがあります。それは、英語でスピーチをすること。スピーチといっても、私が自分で作った文章を伝えるのではなく、オバマ元大統領がかつて2016年に広島を訪問した時に発表したスピーチを朗読するというもの。これは私がオンラインで学んでいる英語学校での取り組みですが、この学校ではこれを「朗唱」と呼んでいます。朗読でもないし、暗唱でもない、「朗唱(声高く歌ったり、詩歌を読み上げたりすること)」です。

さて、この朗唱、やることは「Obama Hiroshima」の17分ほどのスピーチを7分割?くらいにして、1つのパート(約2分~2分半程度)を4ヶ月(パートによる異なるで全て覚えて、自分のスタイルでスピーチするというもの。そして最後には「朗唱コンテスト」があり、エントリーした全員の中で選ばれた数人が本選に進む、という仕組みです。

私がこれに取り組むのは今回で2回目で、前回は58月の4ヵ月間でした。最初はどこに向かっていつ何をやれば良いかがよく分かっておらず、手探りの状態での参加でしたが、一緒にレッスンを受けたり練習をする仲間と出会い、少しずつ全貌が見えてきました。そして、最後コンテストに出た後は何とも言えない達成感を感じました。結果はどうであれ、「1つのスピーチを覚えて、自分なりに咀嚼して、人前でアウトプットできた」という満足感がありました。

朗唱は最初は量のボリュームに圧倒され、「こんなに長いの覚えられない!」と思ってしまうのですが、これも少しずつ分割して学んでいくと、2ヶ月もすると不思議と暗記ができています。私は最初「Obamaや上手な人のプレゼンを完コピすれば良いのでは?」と思っていました。でも、実際にやってみると、なかなかそうはいかないのです。発音やイントネーションは近づけることができたとしても、「心」や「抑揚」が追い付かない感じです。それは外国語だからなのか、読み手(この場合Obama)の感情が腹落ちしていないからなのか・・・恐らく両方あると思います。とにかく、「気持ちは理解したつもりでも、アウトプットはできない」というか、手強いのが朗唱です。

朗唱の練習の手段はいくつかあります。1つ目は自分でひたすら練習する方法、2つ目は仲間と練習する方法。仲間というのは同じスクールで朗唱をやる仲間同士、いくつかの共通項がある人同士でやることが多いのですが、残念ながら練習は日本時間の平日夜に開催されることが多く、こちらでその時間から仕事が始まる私には時間が合わないことが多く、今回はあまりグループでの練習に参加できていませんでした。

そんな中で、ある土曜日の夕方、あるコミュニティがやっている練習会に顔を出してみました。このコミュニティは速読をやっている「瞬読」というコミュニティからこの英語スクールに参加した人たち。彼らはもともと毎日朝6時から「朝活」という活動(30分間、zoom越しに思い思いの勉強をするというもの)をしているため、その前の530~の30分間を朗唱勉強会に充てていたのです。このコミュニティ、英語とは直接関係がないのですが、もともと毎朝600~活動をしているだけあり、行動的で熱心な人が集まっています(一応私も所属しています)。

とは言え、彼らは朗唱は初心者のはず。オンラインの教材のみで先生からの直接指導を受けていない状態での勉強会はなかなか厳しいのではないかな、と内心私は思っていました。でも、彼らはそんな中、手探りで練習を開始していたのです(校長である石渡先生からの後押しでグループは既に作成されていました)。それも朝の5:30から!「ああでもない、こうでもない、と言いながら、一人ずつ朗唱して、コメントを言い合っていました。何という前向きさ、フットワークの軽さでしょう。

私はその姿を見て、果たして自分が初めてだったら、そんな風に練習会を開催しようと思うだろうか、手探りでできるだろうか、と考えさせられました。そして、その日初めて顔を出したくせに(私は普段の「朝活」もほとんど参加できていません)、気が付いたら、自分の思いつくまま、アドバイスをしていたのです。

普段の自分だったら、「経験者とは言え、まだ偉そうなこと言える立場ではないし・・・」とか、「自分が英語をアドバイスできる立場かな?」とか色々なことが頭を巡っていたことと思います。でも、今回は手探りで何とか進めようとしている彼らの熱心さに、そんなことを考える余地はなく、気持ちより先に言葉が口をついて出ていました。

「練習をするんだったらスクリプトを出して、強弱の色(テキストは色別に表示されています)を意識しながらやると良いですよ」とか「ここはこうやって発音すると良いですよ」など、普段の授業だったら、私が一方的に先生からアドバイスを受けるようなことまで。。

そして、それからの約1ヶ月間、週に12回ですが、私も練習会のメンバーに加えていただき、出られる時はみんなでアドバイス(コメント)し合いました。この時思ったのは「アドバイスって必ずしも上級者⇒初心者にするものでなくても良い」といことです。それまでの私なら、「自分なんて」という気持ちのブロックがあったと思うのですが、ここでは皆がフラットに感想を述べあっています。時には「〇〇さん、いい加減覚えなさいよ!」なんていうコメントまで(笑)。これも日頃の信頼関係があるからこそ、できることだと思います。その時々で「できる人ができることをする」、そんなことを教えてもらった練習会でした。

そして迎えたコンテスト本番。コンテストは何日かに分かれて開催され、各々エントリーするのですが、今回は自分の出番だけでなく、一緒に練習した仲間のスピーチを見る時も、自分のことのような緊張感とワクワクがありました。「あ、うまくいったな!」とか「緊張しているな」とか、仲間の発表を見ると色々な感情が出てきます。そして、グループのメッセンジャーでやり取りをしてファイトを讃えたり、感想を述べあったり、皆でその場の臨場感を分かち合っているような高揚感と繋がりがありました。

私自身はというと、前回も苦労した抑揚、感情表現、発声、ハンドジェスチャーなどが今回も課題でしたが、仲間にアドバイスしてもらったり、家族の前で何回も披露してコメントをもらったり、自分なりにブラッシュアップに努めてきました。

特に現地校育ちの娘からは発音やイントネーションを直されたり、それでも、何度やってもできない音があったり・・・。夫からは、「画面でなく、聴衆に聞かせるつもりでやってみたら?」とか「日本語で言うんだったらどこを強調するか、考えてみたら?」というアドバイスをもらいました。確かに、このスピーチはリーダーとして、「聴衆」に向けて伝えるものだから、そのアドバイスも腑に落ちました。

それらを踏まえ、迎えた本番。終わってみると、自分的には100%満足のいく出来ではありませんでした。でも、結果的には自分のカテゴリーの中で本選に進むメンバーに選んでいただくことができました。

それからは再び練習の日々。毎日は同じボリュームではできませんでしたが、先生や色々な方のリプレイを聞いて、学べるところを取り入れようとしたり、前回イマイチだったマイクの音源を変えてみたり。

そうして先週末、無事本番を迎えました。NY時間は午前3時。普通なら起きていない時間でしたが、どうしても当日会場の皆さんと同じ空間を共有したく、ビデオ提出ではなく、オンライン参加を選びました。2時半に起きて支度をしながら「声がちゃんと出るだろうか?」と緊張しながら自分の番を待ち、無事出番を迎えました。必死で2分半しゃべりました。とにかく終わったー!!

後で録画を見て、まだ反省点はあるのですが、少なくとも「2週間前の自分」よりは進歩した形跡が見られました。「少し前の自分を超える」ことができる、その変化を自分の目で見られる、感じることができることも朗唱をやり続ける魅力の一つなのだと思います。

仲間と練習して一体感を持てたこと、互いを応援し合う気持ちを自然に共有できたこと、そして自分自身の進歩した姿が見られたこと、今回の経験から私はこれらを得ることができました。これは英語に限らずですが、皆さんも何かに取り組む時、一緒に挑戦する仲間を作ることをお勧めします。

そして、比較・競争すべきは他人ではなく、「ちょっと前の自分」です。私も含め、人はつい「あの人と比べて自分は・・・」とつい思ってしまいがちです。でも、本当に必要なのは自分自身が成長することなんですよね。そのことを心に留めていただくと「ああ、こんなに自分は遠くに来たんだな!」ということが実感できると思います。

そして、あっという間に季節は12月半ば。気づけば私たちの朗唱も、既に次のパートが始まっています。さぁ、これからの4ヶ月、また仲間と切磋琢磨し、次回も「12月の私」を軽く超えていきます!

Obama元大統領のスピーチはこちら。

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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