ストーリーテリングについて語るブログ

手紙の世界

今日は手紙について書こうと思います。

私は子供の時から手紙を書くことが好きでした。当時は「文通」というものが流行っていて、私は小学生時代、当時子供向けの新聞を通して、岡山に住む1つ年上の女の子と文通をしていました。小学生だというのに、「京本政樹が好き」というマキちゃんがとてもハイカラなお姉さんに思えました。書いている内容も少し大人っぽくて、自分との違いに驚きながらも楽しかったものです。一度だけ、電話で話したことがありましたが、とても緊張してうまく話せなかったのを憶えています。どうしてあんなに緊張したんだろう?人見知りしたのかな?

大学時代、私は海外に頻繁で出かけました。短期留学をきっかけに海外によく行くようになり、大学でフランス語を学び始めた後はフランス人の友達を作りました。最初フランス人の友達は一人もいませんでしたが、勇気を出して声をかけ、友達の輪を広げていきました(ある時は山手線の電車の中で話しかけたこともありました!)。その時背中を押してくれたのがやはり「手紙」でした。

海外の友達は一度離れたら、再会するのがなかなか難しいのですが、私はまた会いたい、繋がりたい友達には定期的に手紙を書き続けていきました。
英語やフランス語の手紙を書くのは簡単ではなかったけれど、学生時代、意を決して?「手紙デー」を作り、放課後図書館で分厚い辞書を片手に手紙を書いたことを思い出します。読書でもない、勉強でもない、「手紙を書く」作業を黙々としたことは、何だか秘密のようで楽しかったのです。何とか書き上げて封筒に入れ、郵便局で手紙を「送り出した」後の充実感は今でも憶えています。

当時はまだメールのない時代でしたので、手紙が唯一、私と彼らを繋いでくれる手段でした。その手紙がきっかけとなり、私は出会った友達に再会し、その家族と繋がり、そのまた先に別の人たちと繋がる、なんてこともありました。会ったこともないご家族の家に数週間泊めていただくことも…。まさに、手紙が私と世界を繋げてくれました(今私が海外にいるのもその時の経験が原点にあります)。

もちろん、日本語の手紙もたくさん書きました。
フランスに留学していた時、人恋しさに日本にいる色々な人に手紙を書きました。友達はもちろんのこと、当時、普段は書かないような相手にも。そんな人からひょいと返事が来たのが嬉しかったり、甘酸っぱい思い出もあります。当時は意識していませんでしたが、これもきっと、手紙が私とそんな人たちを繋いでくれたのですよね。日本で近くにいたら、きっとこんな交流はなかったのではないかと思います。

その後社会人になり、メールが普及したり、忙しかったりで、手紙を書く頻度はだんだんと減っていってしまったのですが、不思議なのは何十年たっても、印象的な手紙の文面は心に残っている、ということです。もちろん、全文ではないのですが、今でも憶えているフレーズがいくつかあります。

なぜそうなのでしょう?
それは皆が書くものではない、という手紙の「希少性」や誰かのことを思い、時間を割く、という「特別感」からではないでしょうか。手紙からは、その1枚に集中する、という気迫が伝わってくる気がします。メールは何かをし「ながら」打つことはありますが、手紙は集中しないと書けません。その分、1枚の紙に込める「重み」が違うのです。

人の体温が伝わる手紙だからこそ、文字と一緒に心の記憶に刷り込まれているというか。手紙の中身もそうですが、今でも私の誕生日にカードを送ってくれる99歳の祖母の綴り字(昔は読めませんでした)、今は亡き祖父の白い便せんに書かれた縦書きの字…などは今でも「映像」として、私の脳裏に鮮やかによみがえってきます。でも、この「映像」は残念ながら、パソコンやスマホの画面では再現ができません。

子供たちが小学生時代、国語の時間に習ったアーノルド・ローベルさんの「おてがみ(The Letter)」というお話があります。何度読んでも感動してしまうのですが、手紙が欲しいのにもらえないという「がまくん」に友達の「かえるくん」がそっと手紙を出し、その手紙が来るのを二人で待っている、というお話です。自分に初めての「おてがみ」が来たことを知った時のがまくんの嬉しい気持ち、友達を思うかえるくんの優しさが読んでいるこちらにも伝わり、本当に幸せな気持ちになったものです。

気持ちのこもった手紙は誰かの心に残り続けます。
何十年経っても私自身が憶えているのですから!そんなことを思い出していたら、久しぶりに、手紙を書こうかな、という気持ちになりました。果たして、一生のうちで、あと何回、誰かの心に残るメッセージが送れるでしょうか?

今私が学んでいる「ストーリーテリング」からも、私は「手紙」と少し似たものを感じています。その人だけの、オリジナルのストーリーは人の心にずっと残るのです。その人だけの物語が「映像」として、人の心に届きます。そう考えると、私たちは手紙を書くように、「誰か一人」へ届けるつもりで、話をすると良いのかもしれませんね。ずっと昔にもらった、忘れられない手紙たちを思いながら、今日はそんなことを感じていました。

 

 

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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