前回は落ち込む日々から少しずつ回復したこと、また術後初めて歩けるようになった体験について書きました。

2ヶ月ぶりの出勤再開!
1月下旬の月曜日、ちょうど骨折をしていきなり出勤できなくなったあの日から2ヶ月が経つ頃、私は出勤を再開することができました。事前に一人で出かけたり、練習はしていたけれど、朝の通勤時間帯に公共交通機関に「一人で」乗るのは本当に久しぶり!初日はバスを利用しました。寒い1月のニューヨーク、待っているだけで手が凍えたけれど、松葉杖を片手になんとかオフィスまで辿りつきました。
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久しぶりの通勤では、温かく迎えてくれる人たちの存在にホッとする瞬間がいくつもありました。同僚たちが突然来れなくなった私を歓迎してくれたり、ビルの受付のお兄さんが、「どうしたの?」とわざわざエレベーターの前まで来てドアを押さえてくれたり、 なじみのコーヒースタンドのお姉さんが、「久しぶりね!どうしてたの?」と声をかけてくれたり。
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普段多くの言葉を交わしていなかった人たちも、「私のことを、覚えてくれていたんだ」と思うと、なんだか嬉しかったです。
医療用サンダルから靴へ
最初の2日間は、まだ右足は医療用のサンダルを履いての通勤。
このサンダル、足首が固定されるので、歩くときに足が突っ張り、まるでカカシのようなぎこちない歩き方になってしまいます。でも、3日目くらいからは、ついに普通の靴(限られた種類ですが)を履けるように!
前回のブログにも書きましたが、靴を履くと、サンダルとは違い、足首がしっかり動かせることに気づきました。
骨折経験者の同僚からは、「少々痛くても、怪我をかばった歩き方はクセになってしまう。できるだけ普通の歩き方を意識したほうがいい」というアドバイスをもらっていました。普通の靴を履くようになると、まだぎこちなさは残るものの、少しずつ「普通の歩行」に近づいている気がして、それが励みにもなりました。
バス vs. 地下鉄
はじめは、通勤にはバスを使っていましたが、意外と待ち時間が長いのが悩みの種。それに、自分の職場や家の方に行くバスは数が多いのは良いのですが、バス停が複数に分かれていたり、ちょっと面倒でもありました。そこで、ある日思い切って地下鉄を使ってみることに!
ただ、地下鉄となると、どうしても階段の昇り降りが必要。足を怪我している時、特に難しいのは「降りる」動作で、これがネックになっていました。
とはいえ、PT(理学療法士のいるリハビリ施設)ではすでに階段の昇降練習をしていたので、そのことを思い出しながら、手すりを両手でしっかりつかみ、慎重に降りてみると……できました!
最初は、恐る恐る1段ずつ降りていましたが、日を追うごとに慣れてきて、徐々に左右交互に降りることができるようになりました。足首はまだ固く感じましたが、少しずつ柔軟性が戻ってきているのを実感。
さらば、松葉杖!
この頃、部屋の中ではすでに松葉杖なしでの歩行ができていました。職場にいると、どうしてもデスクから動かなくなってしまうことが多いのですが、1時間に1回くらいはリハビリも兼ねて、意識的に歩く時間を作るようにしていました。
ただ、外を歩くときはまだ怖さが残ります。「私はまだ弱い人なんです。ぶつからないでね。」という意思表示の意味もあり、しばらくは通勤時も松葉杖を使っていましたが、「お先に失礼します。」とエレベーターに乗る時に「あ、松葉杖!」と席に戻ることもしばしば(笑)。そんなこんなで、2週間が経過する頃には、「さすがにもう要らないかな?」と松葉杖なしで歩くようになっていました。
週に2回のPTに通いながら、通勤を通して再び街に出るようになると、本当に「復活」したんだな、という実感が湧いてきました。
最初は痛みもあり、ぎこちない歩き方でしたが、日が経つにつれて自然と歩けるようになり、2週間が経つ頃には「もう怪我しているようには見えないのでは?」と思えるほどの歩き方に!
もちろん、まだ右足は完全ではなく、少し痛みもあるし、以前のようにスピーディーに歩くことはまだできません。でも、「あの時はこうして普通に歩ける日が来るなんて想像もできなかったな」と思うと、回復の実感が湧いてきました。
鏡の前で見比べる「左右の足」
それでも、鏡の前で左右の足を見比べると、その差はまだ歴然。
✔ 右足首はまだ太いし、固さも残る
✔ でも、指の動きは以前に近づき、ぼてっと腫れていた足の甲にも、うっすら静脈が透けるように!
初めて包帯を外したときの衝撃的な自分の足の姿を思い出すと、ここまで戻ってきたことが嬉しくなります。足首の傷跡は最初は痛々しく感じたけれど、今は「これが私の勲章」 という気持ちに。
PTのセラピストさんに、「傷跡を薄くするクリームがあるよ」と教えてもらったので、今はお風呂上がりにマッサージしながら、クリームを塗る習慣ができました。「まだ完全には消えないけれど、時間とともに薄くなっていくはず」。そう思いながら、今日も少しずつ、以前の自分に戻るための時間を重ねています。
気持ちが戻ってくる
そして、何より嬉しかったのは、「前向きな気持ちが戻ってきた」ことでした。
以前、骨折療養中で家から出られなかった時は、気持ちが落ち込み、何も発信する気になれませんでした。SNSの投稿も止まり、ブログを書く気力も湧かず、ただ日々が過ぎていくような感覚。

でも、歩行ができるようになり、通勤を再開して社会とのつながりを取り戻すことで、少しずつ「書こう」「発信しよう」という気持ちが戻ってきました。
何より、私が経験した 異国(NY)での一人暮らしの骨折体験記 をしっかり記しておきたいと思うようになりました。それが最初のきっかけとなり、こうして 8つのブログ を書き続けています。そして、不思議なことに、一度発信を始めると、自然と次のステップに進むエネルギーが湧いてくるもの。
このブログを書きながら、「私の経験を伝えたい」「また講座を再開したい」という思いが強くなり、現在開講準備中のスピーチの講座も再び前に進めていく勇気が湧いてきました。
身体の回復とともに、気持ちも少しずつ前向きに。歩くことができるようになったこと以上に、この「気持ちの回復」が何より大きな変化だったのかもしれません。
6週間という単位
前回の診察から6週間後、2月に再びドクターの診察がありました。今回は初めて友人のOさんの付き添いなしで、一人で地下鉄にクリニックに行くことができました。いつも正面玄関の数段の階段が登れなくて、裏口から回っていたのに、今回は「ここから入れるんだ」と思うと、不思議な気持ちでした。
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ドクターの診察は、「もう骨は回復している。あとはPTを続けて、また6週間後に来てね」というもの。
そうか・・・。もう後はここ(病院)ですることはあまりないのか?と感じました。
思えば、いつも「6週間単位」で区切られながら回復してきたように感じます。
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最初の6週間
術後の「安静期間」。この間は右足を絶対に荷重せず、細心の注意を払いながら生活する日々でした。「もう二度と足を傷つけたくない」という思いから、慎重に慎重に動いていた時期。 -
次の6週間
歩行OKの許可が下りたタイミング! 右足に体重を乗せることができるようになり、「歩く」という当たり前の動作の大切さを痛感しました。ここでの変化は本当に大きかった! -
そして今回の6週間後
すっかり日常生活にも慣れ、この日の診察の後、友人とランチをしてから家まで徒歩で帰ることにチャレンジ!帰宅後、スマホの歩数を見てびっくり。
✅ 1万歩、達成!
「ついにここまで歩けるようになったんだ…!」と、感動すらしました。
もちろん、まだ疲れると足が痛むことはあるし、慎重に歩く必要はあります。でも、「長い距離を歩く」ことへの不安が、ここでぐっと和らいだ気がしました。
最初に「6週間後」と聞いた時は「そんな適当なこと言って、本当?」なんて思っていたのですが、こうしてみると、確かに意味のある単位でした。
そして、次の6週間後はもう4月。その頃、私はどんな風に歩いているのでしょう?
次回はアメリカの医療の体制や私のお世話になっているリハビリ施設であるPTのことなどについて書きたいと思います。
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