ストーリーテリングについて語るブログ

まさか私が?~骨折体験記@NY(その2)

 

前回の続きです。

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いざ「ER」へ!

Urgent Careを出拍子抜けするほどあっさりと受付完了。そして、「ここに座って下さい」と案内された場所はきちんと隣とのスペースが取られた比較的広い空間。待合のベンチにひしめき合う様子を想像していた私は少し拍子抜けしました。た私たちは、近隣のER(Emergency Room)に到着しました。ドラマや映画でよく見る、あの「ER」。どんなに混んでいても、患者が溢れかえっていてもおかしくない場所…。

でも、いざ受付に行くと、思ったよりもスムーズに手続きを進めてもらえました。
身構えていた分、

受付スタッフに「骨折の疑いでUrgent Careから来た」と伝え、紹介状を渡すと、スムーズに質問や保険情報などを提供してヒアリングも終了。

「この調子ならすぐ診てもらえるかも…」
そう思ったのも束の間、ここからが長い長い待ち時間の始まりでした。

4時間待ちの試練

受付はスムーズだったものの、そこからの待ち時間がとにかく長かったです待ち時間は特に痛みが増すことはありませんでしたが、ひたすら退屈でした。Oさんが近隣の日本スーパーで買ってきてくれたおにぎりやチョコレートを食べながら待ちましたが、1人だったらどうしていたんだろう?

待合室に来る人を見ていると、ただちに手術や措置が必要そうな人はおらず、そういう人はきっと別の部屋に通されるのだろうな、と思いました。ちなみに、アメリカの病院は保険の種類によって、「ネットワーク内(in network)」「ネットワーク外(out of network)」があり、それにより、自己負担の金額が異なるのですが(基本的に前者の方が自己負担額が少ない)、こういうERは基本的にすべての保険が「ネットワーク内」という扱いで、無保険者も含め、あらゆる人を受け入れる準備があるようです。確かに、救急時に病院を選んでいられない時もあるでしょうから、こういう病院の存在は有難いです。たまたま出向いた一番近くのERがこの病院だったのですが、アメリカ国内で大きなネットワークを持つ病院の一つでした。そこで働くスタッフの人達は、どことなく余裕がある感じがしました。

その後2時間以上してから、ようやく「レントゲンを撮り直しましょう」という声がかかりました。生憎、先の病院で撮ったレントゲン写真のCDを読み込むことができなかったようです。「それなら最初からここに来るべきだったか?」とも思いましたが、応急措置をしてもらっただけでもUrgent Careには行った価値があると思い直しました。そうでなければ4時間、何の固定もないままの足だったのですから…。ㅤㅤ

結論…手術

さらに撮影から1時間くらいしてから、係の人が来て、「レントゲン写真の診断結果、恐らく手術になると思いますが、まずは週明けUpper EastにあるDr. Lのオフィスで診察を受けてください。」と伝えられました。やはり、最初の病院の医師の見立て通り、手術決定でした。
ㅤㅤ
「やっぱり手術かぁ」とは思いましたが、不思議と怖さはありませんでした。実は、娘が7歳の時にサンフランシスコで手首を骨折したことがありました。その際、診察や手術のために何度も病院へ通い、治療の流れを間近で見てきた経験があります。

もちろん、当時はまさか7年後に自分が同じような経験をするとは思いもしませんでした。しかし、娘の治療に付き添っていたときの記憶が鮮明に残っていたおかげで、「あぁ、きっとあの時と同じような流れなんだろうな」と、自然と心の準備ができていました。まるで娘の体験が疑似体験として自分の中に蓄積されていたかのようでした。

「どうして、あの時…」が頭から離れない

その後ようやくERを出て家に着いたのは午後4時半ごろ。長い1日でした。割とすぐ帰ってくるつもりで家を出たので、電気もつけっぱなしの状態でした。ようやくベッドに倒れ込みたい…と思ったのですが、そうもいきませんでした。

なぜなら、この日は子ども達の学校の先生との面談がありました。もともと翌日に、子どもたちの学校の先生と10以上のアポイントメントを入れていました。しかし、この状況で一人では翌日ニューヨーク郊外まで行けるはずもありません。

そこで、急遽オンライン面談に切り替えられるものはこの日に済ませることにしました。直前に予約を取ることができた先生と連絡を取り、落ち着かない状況ではありましたが、3つほど面談を実施。「本当は明日お伺いするはずだったんですが…」と説明しながらも、何とか終えることができました。

こうして、慌ただしい1日が終わりました。でも、冷静に我に返ってみると、私は一人暮らし。と、いうことは「これから私、暫くはこの家から出られないんだ」という事実がドーンとのしかかりました。ただひたすら、後悔ばかりが心を埋め尽くしていきました。

そして、考えたところでどうにもならないのに、「どうして昨日、ストレッチをした後にマットやポールを片付けなかったんだろう」、「どうして足元をちゃんと見ていなかったんだろう」という後悔ばかりが押し寄せました。

大好きだった街歩きができなくなること、何よりも大事だったはずの「足」を、自分の不注意でこんなにも簡単にダメにしてしまったこと、そして、今まで何の意識もせずに「歩く」ということができていたこと。そして、その「当たり前」のありがたさに、気づくのが遅すぎた…そんな思いが次々と押し寄せ、苦しくてたまらない夜でした。でも、時間は巻き戻せません。

毎日が「サバイバル」

週明け、改めて職場に状況を連絡をし、怪我の状況を報告するとともに、しばらくの間フルで在宅勤務に切り替えさせてもらえるようお願いしました。もちろん、上司や同僚は快く受け入れてくれました。

それでも、突然職場に行けなくなってしまったことに、申し訳なさを感じずにはいられませんでした。「本当なら、今日もオフィスにいるはずだったのに…」

そう思いながら迎えた、骨折後初めての在宅勤務の日。この日はたまたま打ち合わせが何本も入っている日でした。しかし、デスクに向かい、長時間座っていると、足が徐々にうっ血してくるのがわかりました。じわじわと広がる不快感に、「これはきついな…」と思いながらも、足を椅子の上に載せたり、クッションで支えたりと、いろいろ試しながら何とか乗り切りました。

ちなみに、この頃、家の中での移動手段として活躍していたのが、キャスター付きの椅子でした。日本にいる母から「キャスター付きの椅子があると便利だよ」とアドバイスをもらい、寝室のデスク前にあった椅子を引っ張り出してきたのです。これが思った以上に便利でした。松葉杖で歩くとどうしても不安定になり、ちょっとした段差や床の小さなものにも気を使わなければなりません。でも、椅子に座ってコロコロと移動すれば、転倒のリスクもなく、スムーズに動けます。

ただし、絨毯の上では全く進まない。フローリングの部屋では快適だったものの、絨毯の部屋に入ると、まるでブレーキがかかったかのように動かなくなり、その場で足をバタバタさせながら移動する羽目になりました。

荷重許可が下りるまでは、キッチンと洗面所にも椅子を置いていました。それぞれ料理をしたり、洗顔や歯磨きをするときに右足を乗せながら作業できるようにしました。とにかく再び「転倒」することだけは避けたいので、安定した土台があることで、安心して立っていることができました。

何より、一人暮らしなので、どんなに不便でも自分で動かないと生活が成り立ちません。「ちゃんと食事をして栄養を摂らないと。」と思い、試行錯誤しながら少しでも快適に過ごせる方法を探していました。とにかく、この状況でどうやって生き延びるか。毎日が「サバイバル」でした。

診察と手術決定

そして翌日、いよいよ初めての医師の診察を受けることになりました。この日も有難いことに、Oさんが朝から付き添ってくれました。

病院に到着し、待合室で呼ばれるのを待っていると、ついに担当医のL先生と対面。想像していたよりもずっと若い先生でした。見たところ30代前半くらいでしょうか。最初は少し驚きましたが、話をしてすぐに、「この先生は頭が切れる、腕のいい先生なんだろうな」と直感しました。

説明は非常に明確で、余計な回りくどさがなく、「この人に任せれば大丈夫」と思えたのです。さらに、「疑問に思うことがあれば、いつでも連絡していいですよ」と言いながら、自分の電話番号まで教えてくれました。この先生なら、安心して手術を受けられるかもしれない、そう感じました。

この週はアメリカではサンクスギビング(感謝祭)の休暇週。その影響で、手術は翌週の金曜日に予定されていました。本当は1週間以上も待つのは嫌だったのですが、「まあ、仕方ない。とにかく予定通り進めよう」そう思いながら帰宅しました。

その日の午後、思いがけない一本の電話がかかってきました。電話の相手は、L先生本人。「今週金曜日に1件キャンセルが出たんですが、もし希望するなら、その日に手術を受けられますよ。」先生は、私が早く手術を受けたい、と希望していたことを憶えていて、わざわざ自ら連絡をしてくれたのでした。

そう言われた瞬間、私は迷いなく答えました。「ぜひお願いします!」

とにかく、1日でも早く前に進みたかったのです。手術を受けて、そこから回復へ向けて動き出したい。
この時の私は、そんな思いでいっぱいでした。次回に続きます。

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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