ストーリーテリングについて語るブログ

原体験を振り返ろう(その3)~自分の夢、叶えたかったこと(ニューヨーク編)

前回のブログではサンフランシスコでの生活と東京に帰ってからの日々について書きました。今回はその後の話を書きます。

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コロナと在宅勤務

世界中を混乱の渦に陥れた新型コロナウイルスは、私たちの生活に瞬く間に大きな影響を与えました。通勤や通学が制限され、オンラインでの会議や授業が急速に導入されたことで、私たちの生活や仕事の仕方に大きな変化がもたらされました。
2020年3月後半、アメリカの各州でロックダウンが始まりました。子ども達が以前通っていたカリフォルニアの学校ではいち早く全家庭にPCが配布され、体育の授業までもがオンラインで実施されていたのが印象的でしたWiFi環境が整っていない家庭向けにはWiFiのレンタルも行われたそうです。後に急速に普及したZoomも、現地企業の間ではすでに知られたツールでした。さすがシリコンバレーの地元ならではの対応でした。
一方、日本では全家庭へのPC配布はハードルが高かったようです。息子の中学校では何とか1人1台のPCを確保できていましたが、娘の通う公立小学校では夏頃になってようやくラップトップが1人1台貸与されました。しかし、オンライン授業の実施までには至らなかったと記憶しています。
緊急事態宣言に振り回されながら、通勤と在宅勤務を繰り返す中で、徐々に「在宅勤務のある日常」に慣れていきました。当時中学生だった息子とテレワークやオンライン授業をしながら、お昼に好きなランチを注文して息子に取りに行ってもらうのも新しい楽しみでした。一方で、出社しても以前のようにみんなでランチに行くことができず、デスクで一人で食べるのは味気ない感じがしました。

今度は私が

そんな生活が半年以上続いた頃、今度は私に私に海外赴任の話がやって来ました。職場復帰してからようやく2年、子供たちもようやく日本の学校生活に慣れたタイミングでしたが、その昔、フランス行きの話を断ったら、次はないかもしれない、と思ったのと同じように、今回も同じことを感じました。


もう少し日本で落ち着きたい気持ちもありましたし、お互いの両親のことも頭をよぎりましたが、「今度は私がチャレンジしたい」という気持ちが、それを上回っていました。以前サンフランシスコを後にする時、ぼんやりと頭に浮かんだこと、「今度は私が家族を連れて来よう」。当時は数年お休みをもらってた身だったし、本当に実現するかどうか、まったくアテもありませんでした。でも、2年後に本当にそんな話が巡ってきたのです。

行先はニューヨーク。正直、予想もしていなかった場所でした。海外事務所の中で最も大所帯、それを取りまとめる今度のポストは中々激務と聞きます。本当は再度パリに行きたい気持ちもありましたが、タイミングもあり、それは叶いませんでした。でも、「もう一度家族でアメリカで暮らせる」と思うと、少々仕事がきつくても、チャレンジしてみようかな、という気になったのです。

「専業主夫」誕生

今回は夫が帯同のための休暇を取ることになりました。当時、男性でこの休暇を取るのは社内でも2人目。特に彼のような管理職クラスの社員が取るケースはまだ珍しく、最初は色々な人に驚かれました。でも、今度は私の番です。結果的に夫は3年間の休暇を取得することになりました。「専業主夫」としての渡航です。
私はその翌年の2021年6月に渡航しましたが、思い返すと、私が最初にパリに行ったのが2001年6月。当時からちょうど20年経っています。その間の自分の変化や環境の変化を考えると感慨深いものがありました。「20年経ってまた赴任することができた。今度は家族を連れて。」そうして、月日の流れや自分の変化をしみじみと感じていました。
こちらでの仕事は総務・人事。当時はロックダウンが終了し、人々が徐々にオフィスに戻ってきた頃ではありましたが、ひとたび感染が広まると、その度に国や州、市の規則に対応する必要がありました。新しい法令が出るたびにわが社は対象になるのか、何をしなくてはいけないのか、手探りの日々でした。中にはしんどい仕事もありましたが、夫が家庭で家事・子育てを担ってくれたおかげで、心おきなく仕事に専念することができました。
当時初めて家庭に入り、「主夫」生活をしていた夫は慣れないながらも、毎日のお弁当作りや登校のバスのお母さん達のLINEグループに加わったり、ベストを尽くしてくれました。でも、毎日の食事のメニューを考えることはなかなかの難関だったようです。

そして思春期の娘との関係にも苦心していました。生活面で注意をしたり、学校や塾のあれこれを整えようとする父親に対し、娘はよく反発していました。たぶん、「普通はこういうことをしてくれるのはお母さんのはずなのに、我が家は違う」という環境に戸惑いと反発を感じていたのだと思います。私は二人の言い争う姿を見て、申し訳なく、心が苦しくなることもありました。自分のエゴで皆に慣れない環境を作りだしてしまい、家族に迷惑をかけてきたのかな、と自分を責める気持ちになっていたのです。

お母さんの気持ち、お父さんの気持ち

日常のそんな切ないやり取りもありましたが、私たち夫婦はこの経験を通じて、お互いの立場への理解が深まったように思います。夫は専業主婦がいかに大変かを知ったようですし、私は仕事に集中できることのありがたさを実感しました。

そして、今回立場を逆転してみて、家で家事・育児をしていた頃の自分が、夫にとってどう映っていたのかも想像することができました。きっと疲れて帰って来た夫に、自分のストレスをそのままぶつけていたんだろうな、と思うと恥ずかしくなりました。

四六時中家庭で育児と向き合い、ストレスを感じるお母さん達の気持ちは十分理解していたつもりでしたが、今度は、それをぶつけられても「そうは言ってもね」とか「どうしようもないよな」、とどことなく、部外者の心境になってしまうお父さんの気持ちも理解するようになっていました(両方わかるだけに、苦しいところもあるのですが・・・)。

しばしの休憩

もう一つ、今回私は夫が家庭のことを担ってくれたおかげで、自分のやりたいことを考え、見つける時間を持つことができました。この3年間でブログを書いたり、ストーリーテリングを学んだり、スピーチ練習をするコミュニティを立ち上げたりと、新しいことにチャレンジする機会を得ました。

以前にも書いたように、私は「書くこと」は子ども時代から好きでしたが、今のようにこうして積極的にブログやSNSにアップするようになったのはこちらに来て1年近く経ってからのことでした。ずっと「(仕事以外に)何かやりたいけど、何をやれば良いかわからない」迷子の状態でしたが、こちらに来て繋がった色々なコミュニティを通じ、少しずつ自分の方向性が見えてきました。それには、自分の時間を作れるようになったことが大きいと思います。

ニューヨークでの生活も最初の1年は何だかんだと仕事や生活の立ち上げに必死でしたが、段々とオペラやミュージカル、コンサートなどのエンタメを楽しむ余裕もできてきました。

夫や子供たちはこの生活が楽しかったのかはわかりませんが、日本にいる時とは違う経験ができていることは確かです。この価値は今すぐにはわからないかもしれないけれど、5年後でも10年後でも、「あの時ニューヨークに行って良かったな」と思い返してくれることがあれば良いな、と思っています。

早いもので、赤ちゃんだった息子も先月18歳になりました。娘も秋からは高校生になります。そして、夫は3年間の専業主夫生活はもうすぐ終わりを迎え、帰国します。この3年間は思うようにいかないこともあったと思うけれど、自分の役割を変えて、家族を支えてくれた彼には感謝の気持ちでいっぱいです。

私はまだしばらくこちらにいますが、今度日本に帰ったら、健康に良いものをたくさん作ってあげたいな、と思っています(外食が多かったり、夫の作るボリューミーな料理のお蔭で、私の体重もなかなか減りません)。ㅤ
家族4人で暮らす生活はしばらくお休みですが、また4人で集える日まで、少し長い「休憩」だと思っています。

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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