ストーリーテリングについて語るブログ

コネクティング・ザ・ドッツ~自分の人生の「点」と「点」を結ぶ

私は人生の中で様々な経験、トライ&エラーを繰り返してきました。その一つ一つは一見一貫性のないものですが、後から振り返ると一つ一つの点が線となって繋がっていることが分かります。

皆さんの中にも、アップルの創業者であったスティーブ・ジョブズのスピーチについて聞いたことがある方は多いと思います。

ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で講演した「Coneecting the dots(点と点を繋ぐ)」のエピソードは、彼が大学を中退した時にたまたま授業で潜り込んで学んだカリグラフィー(文字を美しく見せるための手法)の授業が、その後10年を経て、アップル・コンピュータのフォントの開発のヒントになったという話です。これはもしジョブズが大学を中退していなかったら、正規の履修科目ではないカリグラフィーの授業を取ることはなかったであろうと言っていますし、当然当時は単純に文字の美しさに惹かれて受けたこのカリグラフィーが、その後の自身の仕事、製品の開発に結び付くとは思っていなかったと話しています。

私にもそんな経験があります。私は学生時代、せっかく努力して現役で入った大学で第二外国語のフランス語の単位を落とし、その年進級できなかったという苦い経験があります。当時は自分の「ツメの甘さ」を散々恨みました。「どうしてもっとうまくやらなかったのだろう」「ギリギリでも通りさえすれば、こんな惨めな思いをすることはなかったのに・・・」と、初めは自分の怠慢さを反省するよりも、不運さを呪いました。

でもしばらくして、後悔ばかりしていても、何も変わらないことに気づきました。当時の私には痛すぎる経験でしたが、「この失敗を失敗のまま終わらせてはいけない」と気持ちを切り替え、「今度は徹底的にやってAを取ろう」と真面目に取り組むことにしました。そうしたところ、フランス語の美しさ、楽しさにはまり、どんどんのめり込み、フランス語が大好きになりました。

そして、結果として、翌年の専攻は仏文に進み、留学もすることになりました。そして、その経験から世界に出たい、と強く思い、海外70ヶ国以上に拠点のある職場に就職をし、フランスに駐在することにも繋がりました。そして、そのフランスで(同僚だった)夫に出会い、現在の家族がいます。

もう一つの例として、私たち家族は今から8年ほど前、夫の駐在でサンフランシスコに駐在をしていました。私は当時、幸運にも社内にできて数年の「帯同休職」という制度を使い、休職して家族について行くことができました。

「専業主婦として、いつでも家族、子どもたちのケアができる。自分のやりたいことをする時間ができる。」という希望に満ちて始まった駐在生活でしたが、すぐに「英語が話せない。学校で友達ができない。」という息子(当時小2)の状態に直面しました。

朝学校に送った時、他のお子さん達は教室のドアが開く前に話したりふざけながら待っていますが、我が子はいつも一人ぼっちで「手遊び」をしていました(空想の中で飛行機を飛ばしていました)。そして、お迎え時にも一人で教室から出てきて、私をギュッとハグしてきました。私には慣れない海外生活の英語環境の中で、不安とストレスでいっぱいの彼の胸の内が伝わってくるようでした(この当時のことは今でも思い出すと涙が出ます)。

私たちは「子どもは海外生活にすぐに慣れて、英語もペラペラになる」という一般でよくいわれることを真に受け、迷いなく子供たちを連れてきてしまいましたが、実際はそんなに甘いものではないことを目の当たりにし、愕然としました。そして、「子どもには絶対に海外生活を体験させたい」と思っていた自分のことを単なる「親のエゴ」だったのではないだろうか?」と後悔さえしました。

そんな中で「何か自分にできることはないか?」考え、しばらく様子を見ていましたが、ある時クラスの授業で父兄のボランティアを募っていることを知り、思い切って応募してみました。その時はあるお母さんが教える美術の授業(カリフォルニアのその小学校では、美術の授業は父兄によるボランティアが先生でした!)のアシスタントとして、道具を配ったり、子どもたちの席を回ってヘルプしたり、写真を撮る仕事でしたが、教室で楽しそうに絵を描く子ども達や息子の姿を見て、何だかとても安心したことを憶えています。

そのことがきっかけとなり、様々なボランティアを経験したり、他のお母さんたちに思い切ってコンタクトを取ってPlaydate(放課後子ども同士で遊ぶこと)をお願いしたりしてみました。そのことで私自身の世界が広がり、翌年度からはクラスマザーといって、クラスの取りまとめ的な立場にも思い切って手を広げることになり、学級の運営(先生のサポート、集金、パーティの企画・運営など)結果として親子共にとても楽しい学校生活を送ることができました。

そして、その時に目にしたお母さんたちだけでなく、学校活動や子供たちの送迎など、色々な側面で目にした「お父さんたち」の活躍が印象的でした。シリコンバレーという土地柄、COVID前の当時から、自営や在宅勤務の人が多い場所であり、子育てに携わるお父さん達がとても多かったのです。

そんな風土もあり、バリバリにキャリアを積み上げたお母さんでも、クラスの取りまとめをしたり、学校以外の課外活動でもリーダーシップを取っている人が複数いました(アメリカでは「忙しい人」ほど、そうした学校、課外活動のリーダー的存在の人が多い印象でした)。そのことに刺激を受け、私は帰国して約2年後、今度は自分の駐在でニューヨークに、家族を連れて来ることになりました(今度は夫が「専業主夫」として休職して来てくれています)。

このように、私の人生はフランス語での失敗が現在の職、家族に繋がり、その家族と行った海外での経験が今の生活に繋がっています。まさに「点」と「点」が「線」となり繋がっていることを実感しています。

恐らく、いや必ず、皆さんにも私と同じような「点」がたくさんあり、それらが「見えない一貫性」となって繋がっているのではないかと思います。それらを結び、「自分が今ここにいる意味、理由」を知ることができたら、皆さんの人生もより豊かになり、次の「点」がどんなもの(経験)なのか、どうあるべきなのか?が見えるのではないでしょうか?

今後、この自分の「点」と「点」を繋ぐ具体的な方法についてもお話ししていきたいと思います。

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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