ストーリーテリングについて語るブログ

「当たり前」を知る効果

最近、年明けからずっと続いていたジョギングをお休みするはめになりました。『運動脳』を読んで以来、習慣にしていたジョギング、時間は短いものの、健康効果のみならず、思考をクールダウンし、色々なアイディアが浮かんでくる貴重な時間でした。

でも、数日前の夕方のランで足を挫いてしまいました…。
痛めたのは左の足首ですが、ここは一昨年、ニューヨークで迎えた1年目の冬、まだ慣れない「凍った階段」で足を滑らせて痛めてしまった古傷です。その後もなぜか、痛めるのは決まって同じ方の足。今回も「よりによって、なぜ左足をまたやってしまったのだろう」と恨めしく思っていました。

「当たり前」だったこと

幸い足は大事には至らず(おそらく)、サポーターを付けて普通に歩行はできる状態です。でも、階段を下りる動作はちょっと難儀ですし、もちろん「走ること」はできません。

こうなってみると、「走る」という動作は結構日常で多用していたことがわかります。朝、歩いていては電車を逃してしまう時、帰りは帰りで、30分や1時間に1本の電車を逃すまいとプチダッシュすることも。部活(陸上部)や毎朝遅刻ギリギリで校門に駆け込んでいた中高時代を始め、私は今までどれだけ「足」があることで助かってきたか、その恩恵は図り知れません。

以前にも書きましたが「昨日の当たり前は今日の当たり前ではない」のですよね。
ちょうど昨日受講したストーリーテリングの講座の時に「感謝日記」について話題に上りました。これは受講生にお勧めされている日記で、毎日とにかく「当たり前のこと(生きていること、足が動くこと、家があること、など)」に感謝することで、その「感謝の波動」のまま1日過ごすことができるそうです。

自分の持つ「豊かさ」を知る

フラクタル心理学の専門家であり、私もコミュニティでお世話になっている白石美帆さんが、音声型SNSのClubhouseで「過去から今までに自分が持っていた『豊かさ』を数えてみる」ことの大切さ、についてお話しされていました。私たちは「当たり前」を認識できないので、意識しない限り、感情が動いたものを記憶して、それを脳内で繰り返す傾向があります。だから、得てして「豊かさ」より「足りないもの」の方に気持ちが動きがちなのですが、本当に目を向けるべきは、「当たり前にあった豊かさ」の方なのだそうです。

「それがなかったら、その人がいなかったら(どうなるか)」に思いを馳せてみる・・・。周囲と比較しても「周りは持っているけど、自分は持っていない」ものにばかり意識がいきがちですが、その逆も必ずあるはずで、その「豊かさ」を数え、紙に書き出し、幸せを実感できるといいます。これは文字にすることで思考が初めて、「外の世界」に出るからです。

ちなみに、「フラクタル心理学」とは思考と現実の関係性に着目した心理学で「この世の中のすべては自分の投影である」という理論です。今回のケースで言うと、その自分の「豊かさ」を実感できた時に、「周囲に対する自分の見方」にもそれが投影されるということになります。

「思考が現実化する」ために本当に必要なこととは?

美帆さんがもう一つ面白いお話をしていました。よく「思考が現実化する」と言いますが、その大前提にあるのが「行動すること」なのだそうです。この「思考が現実化」するプロセスを、「綿あめ」を作る過程に置き換えて説明してくれました。

綿あめを作る時に機械にザラメを入れると、まず最初、そこに靄(もや)のようなものができます。でも、そのままでは形がないので食べることができません。それをどうやって食べられるようにするか?そこには「割り箸」が必要です。割り箸を靄の中に突っ込み、1本軸でグルグルと回すことで形ができて、初めて綿あめが形になり、味わうことができます。

これを現実世界に置き換えると、「思考=靄」、「割り箸=決意」、「グルグル=行動すること」、「綿あめ=思考が現実化した完成形」です。つまり、思考が浮かんだら、決意して行動し続けることで(決意という名の割り箸で)、初めて現実化し、綿あめを味わうことができるのです。

「思っている、願っている」だけの状態の「靄」の味はほんの上っ面の薄いものであるのに対し、こうし人生を「割り箸」という決意で行動することで、初めて本物の「綿あめ」を味わうことができるのだそうです。

行動して、「綿あめ」を味わい尽くそう!

このように「(普段見過ごされがちな)当たり前のこと」にこそ、真の価値があり、その価値を見つけることで、私たちは日々の幸せ、喜びを引き寄せることができるのです。

でも、私たちは普段、なかなかこの「当たり前の価値」に気づくことができません。気づくのは大抵、それを失った時。私の今回の足の怪我もそうでした。普段、普通に存在していたり、機能している状態の時は、その価値を見落としてしまうのです。その理由は、私たちは普段「足りないもの」にばかりフォーカスを当ててしまっているからです。

私たちは既に十分な「豊かさ」を持っているのかもしれません。先の「綿あめ」の話で言うと、「当たり前と思っていた豊かさ」に目を向け、感謝をすることこそ、「靄」を「綿あめ」にする行動なのでしょう。一度きりの人生、折角なら、行動して、美味しい綿あめを味わい尽くしたいですね!

白石美帆さんのご著書『ひとを変える魔法』はこちら

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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