ストーリーテリングについて語るブログ

今日の日常は「明日の」日常ではないと思った話~「内なる言葉」言語化チャレンジ

今日は自分が心の中で感じた「内なる言葉」を言語化するチャレンジとして、つい最近、「今日の日常は『明日の』日常ではない」ということを感じた体験を話します。

先日、16歳の息子が夜塾に行くとき、初めて配車アプリ(U社とかL社などの)を利用しました。普段は夫が車で送って行ってくれるのですが、生憎一時帰国中です。私はその日出勤で、無理をすれば送っていくことはできたのですが、帰宅後急いで夕食を作り、食べさせ、何とか車に乗せて送り出すのが精一杯でした。息子が出かけた後、娘とホッとして夕食を食べていました。

すると12,3分ほど経過した頃、息子から着信がありました。「行き先が違うみたいだよ」と。私が彼のスマホに入力したのですが、違っていた!?私は慌てて「今どこにいるの?〇〇(塾の名前)を検索してそこに行ってもらって!」と伝えました。息子は「わかった」と言ったが早く、呆気なく電話が切れました。

その後、15分くらい経ったころ、念のため息子にLINEに通話をしてみると、出ません・・・。メッセージも既読にもなりません。電話もしてみましたが、全く出る気配がありません。「どうして?さっきまで電話していたはずなのに・・・。」私はだんだん不安で胸騒ぎがしてきました。さっき、あっけなく電話が切れたのはどうしてだったのだろう?なんて考えると、悪い方に悪い方に想像が巡ってきました。その後しばらくして塾に電話をしてみると、息子は「まだ来ていない」とのこと(塾は自宅から車で20分ほどの距離です)。

目の前には娘もいましたし、私は平静を保とうと思っていましたが、電話をしても着信がない、既読にもならないことに、激しく不安が押し寄せてきます。「どうしたの?」「もしかして、どこかに連れて行かれてしまったの?」「電話も取られてしまったの?」なんて、悪い妄想が止めどなく浮かんできてしまいます。

「そんなはずない、大丈夫」と不安を打ち消したかったけれど、一度そう思いだすと不安な気持ちが止まらず、「なぜ一人で知らない車になんて乗せてしまったのだろう?」「私が行こうと思えば行けたのに、なぜ送ってあげなかったのだろう?」「自分が楽をしたくて息子を危険な目に遭わせてしまったのだろうか?」と激しい後悔の念が湧いてきました。そして、「どうか無事でいて!」と強く祈っていました。

息子は昔から割と物怖じしないタイプで、日本にいた時は一人で電車や自転車に乗って遠出するのが好きでした。ニューヨークに来てからも、一人でマンハッタンまで出かけて帰ってくることもありましたし、夕方も近所を一人で走って来たり、スクーター(キックボード)で小一時間トレイルを乗り回したりすることがあります。だから、私たちも彼が一人で出かけることにあまり抵抗がない方でした。この日も同じように、「何事も経験」と、運転手さんの情報も控えずにポンと送り出していました。

でも、この時ばかりは「だからといって、安心し過ぎてしまったかな?」と自分の判断を責めました。「ここはアメリカなのに、もっと気を付けるべきではなかった?」と・・・。誘拐、人身売買など悪いニュースが頭を過ります。日本にいる夫にも慌てて電話をしました。

気づいたら、私は娘の前で、泣き出してしまいました。「どうしよう、どうしよう・・・」と。娘はそんな私に「大丈夫だよ、ママ」と優しくハグしてくれました。いつもは生意気なことばかり言っているのに、こういう時娘は優しいのです。思えば、ずっと昔、ワンオペ育児でいっぱいいっぱいだった頃、同じように私が泣いてしまい、まだ小さい娘がハグしてくれたことがありました。そんなことを思い出しながら、私はじっとしていました。

そんな数分間の時間が永遠のように長く感じられた頃、息子から着信。
「今無事着いたよ。」と。

塾の先生に、着いたら電話させて下さい、とお願いしていたのでした。原因としてはやはり私の入力した住所が間違っていて(そのアプリは住所をコピー&ペーストして貼った後、下に出る選択肢から「選択」するプロセスが抜けていると、たまたま一番上に表示される違う住所が入ってしまうことがあるそう)、なぜか日本料理屋に行ってしまったようです。その後息子は正しい住所を伝え、無事目的地に着いたようなのですが、テスト期間中で電話の音を切っていたため気づかなかったと。私は「マナーモードでも、プルプルくらいしたんじゃないの!気づいてよ!」と言いたくなりましたが、そもそもの原因は正しい住所を入力できなかった私の責任です・・・。

でも、本当に無事で良かった!心からホッとしました。この時「今日の日常は『明日の』日常ではない」ことを強く感じました。だから、後悔しないように、大切な人たちとの一瞬一瞬をもっと大事にしよう、と。特に家族は「いつでも一緒だから」「会えるから」ととかく後回しにしてしまいがちです。でも、失って一番後悔するのは、きっと、この人たちなのです。

私はこの日、仕事やこの「事件」の後で疲労困憊していましたが、帰りは「ちゃんと迎えに行こう!」と思い、夜道のハンドルを握りました。ナビのいない夜の運転は神経を使います(こちらの道は街燈が少なく、暗いのです)。でも、この時は「私が行こう」と思いました。「頑張れ、私!」と自分を励ましながら運転しました。息子のLINEに「帰りは行くね。車を呼ばないでね。」というメッセージを送って。

無事、塾の駐車場に着いて息子に「着いたよ!」と連絡。すると、「え、来たの!? 車呼んじゃったよ。」ですって・・・。「親の心、子知らず」ですね。

以上、「内なる言葉」の言語化チャレンジでした。こうして書いてみると、人間の感情にも色々な表現があるものですね。

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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