本書は高名な精神科医アドラーの教えを伝えるため、哲学者と青年の対話形式でわかりやすく書かれている。『嫌われる勇気』というタイトルはなかなか強烈に感じるが、この本でいう「嫌われる」とは「(人の目を気にして)人に好かれよう、良く思われようということばかり考えない」ということに置き換えられる。つまり「ありのままの自分でいること(普通であること)の勇気」を持とう、ということが書かれている。
「自分を好き」という人は特に日本では多くないという。でも、「自分」は何ものにも置き換えられない唯一無の存在。本書ではその自分を好きになった方が幸せに生きられる、ということを書いている。そして、自分を好きになる方法として、ありのままの自分を受け入れる「自己受容」や自分は誰かの役に立っていると思える「他者貢献」という考え方などが紹介されている。
トラウマの否定~変われないのは「変わらない」という決心をしているから
アドラー心理学では「トラウマ」を否定している。例えば、引きこもりの青年がいたとする。青年は引きこもりの状態になっている理由として、「両親との関係」、「学校でのいじめ」など「過去」にトラウマとなりうる「原因」があり、その結果外に出られなくなったとしているが、アドラーはこのような場合、「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と分析している。つまりこの青年は「外に出ない」という目的があるために、その目的を達成する手段として、不安や恐怖という感情をこしらえている、というロジックだ。アドラー心理学では、前者のトラウマなどの原因に起因するという考え方を「原因論」、後者の目的を達成するための手段として、自分がこしらえるという考え方を「目的論」と呼んでいる。アドラー心理学では過去の経験は現在の行動に関係はない。過去の出来事にどういう意味付けをし、自分に与えられたものを使い、「いま、この瞬間」をどう生きるか、に焦点を当てている。
「あの人」ではなく、「自分」の人生を生きる~自己受容
私も含め、多くの人は認められたい、褒められたい、という願望がある。それを「承認欲求」と呼ぶが、ではなぜ他人から褒められたいと思うのか?それは、多くの人は他者から承認されてこそ、自分の価値が認められると思うからだ。その結果として、人は「自分の本当にやりたいこと」よりも「人に褒めてもらえそうなこと、評価してもらえそうなこと」をやりがちである。でも、いつもこのように他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると、「他者の人生」を生きることになり、いつまでも「自分の人生」を生きることができない。いつまでも本音を出すこともできない。
アドラー心理学では「ありのままの自分」を受け入れることを「自己受容」と呼んでいる。ちなみに、アドラーは「すべての悩みは対人関係の悩みである」と語っており、「劣等感は主観的な思い込み」としている。例えば、「自分は〇〇より劣っている」と定義づけたとする。それを決めたのは「(自分による)主観的な解釈」であり、「客観的な事実」ではないのだ。そもそも「自分」の行動、状態に対して人がどのような意味付けを施すか、価値を与えるか、ということはわかりようがなく、どこまでいっても「主観的な解釈」の域を出ない。
馬に水を呑ませることまではできない~課題の分離
上記を理解するのに必要なのは「課題の分離」という考え方だ。ここでは「自分ができること」と「他人でしか解決しないこと」を切り離して考える。例えば、親子関係であれば、「子どもが宿題をする、しない」でもめ事になることは(我が家でもそうだが)よくある。やるはずの宿題が終わっていないと、親は意地でも終わらせようと躍起になる。でも、本来「宿題を期日までに提出しない場合に起こりうる結末を引き受けるのは誰か?」を考えると、それは間違いなく「子ども」であり、「親」ではない。また、対人関係で「これを言ったらあの人に嫌われるのではないか?」と思い悩むことはよくあるが、ここでも「あの人が自分を嫌うかどうか」は「私」の課題ではない。「あの人」の課題だ(課題の分離)。
本書では「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざが引用されているが、まさに「親」や「私」ができるのは「馬を水辺に連れて行く」ところまでだ。「水を呑むかどうか」は「親」や「私」の範疇ではない。それを理解せず、力づくで「宿題をさせよう」、「あの人に嫌われないように行動しよう」ともがくからおかしなことになっている。本来自分のコントロールの及ばないことで思い悩んでも仕方がないのに。「課題の分離」をし、やるべきこと(水辺に連れて行く)ことをやったら、後は手放すと気持ちも楽になる。今自分ができることに集中しよう。
わたしは誰かの役に立っている~他者貢献
アドラーが対人関係のゴールとしている発想は「共同体感覚(他者を仲間だと見なし、そこに自分の居場所があると感じられること)」というものだがここに行き着くためには以下のプロセスがある。
自己受容(ありのままの自分を受け入れる)
↓
他者信頼(人は自分の仲間だと思える)
↓
他者貢献(わたしは誰かの役に立っている)
↓
共同体感覚(他者を仲間だと見なし、そこに自分の居場所があると感じられること)
「他者貢献」はその過程で必要な考え方だが、「わたしは誰かの役に立っている」という「貢献感」を持つことは、上述の「ありのままの自分を受け入れる」ことに繋がってくる。例えば、家事をする時、「なぜ自分ばかりやらなくてはいけないのか(自己犠牲)」「誰も感謝してくれない(承認欲求)」と思うのではなく、「自分は(これをすることにより)家族の役に立っている、貢献している(貢献感)」と考えることで、ほかの人が承認してくれなくても、満足感が得られるという。「私は誰かの役に立っている」という考え方は人のために何かをするのではなく、「わたし」の価値を実感をするためにこそ、なされるものだという。
人生は「点」の連続~「いま、ここ」を生きる
人生はよく「登山」に例えられるが、人生を山頂をめざす登山のように考えている人は自らの生を「線」としてとらえているという。つまり、もし人生が山頂にたどり着くための登山だとしたら、山を踏破するまでの人生の大半は「途上」に過ぎず、山頂に着いた後からが「本当の人生」ということになる。そうなると、そこに至るまでの自分は「仮のわたし」による「仮の人生」になってしまう。こうした発想は人生の大半を「途上」としてしまう考え方だ。
対してアドラーは人生を「線」としてとらえるのではなく、「点の連続」だと考えている。アドラーいわく、線のように映る生は実は点の連続なのだ。本書ではこの「点の連続」を「連続する刹那」と表現している。人生とは「いま、この瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那」であり、ふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされるようなものであり、ここでは「目的地」は存在しない。つまり、我々は「いま、ここ」にしか生きることができない。
アドラーのいう「人生最大の嘘」は「いま、ここ」を生きないことだという。私にも思い当たるふしが大いにあるが、過去、未来ばかりを見て、「いま」をおろそかにしている人があまりにも多い。自分が劇場の舞台に立っている姿を想像した時、会場全体に蛍光灯がついていれば、隅々まで見渡すことができる。しかし、自分に強烈なスポットライトが当たっていたら、最前列さえ見ることができない。
私たちの人生もそれと同じで、人生全体にうすらぼんやりとした蛍光灯のような光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまっている。それに対し「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなる。「いま、ここ」を真剣に生きて、「いま、できること」を真剣かつ丁寧にやっていく生き方がアドラーの説く生き方だ。
人はいま、この瞬間から幸せになれる
ここまで、本書を読み私の心に響いたポイントを書いたつもりだが、多くのことは「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざに集約されていると思う。自分ができることは「馬を水辺に連れて行く」ところまでであり、「水を呑ませる」ことはコントロール外のことである。つまり「人が自分をどう思うか」や「他者(家族も含めた)の言動」は自分のコントロール外(課題の分離)であり、自分がすべきことは「いま、自分ができること」に集中すること、「他者の評価」は気にしないことである。
また、私自身これまで、自分の過去や環境は「変えることができない、仕方のないもの」と捉えていたし、大小の「トラウマ」は薄めることはできるけど、拭い去ることはできないものと思っていた。でも、本書を読んで、それらの裏に「自分」が作り出した「目的」があるなんて、考えも及ばなかった。そしてその感情は自分次第で自由にコントロールすることができる。
アドラー心理学で勇気づけられるのは、人は過去や周囲に縛られることなく、「いま、この瞬間から変われるし、幸福になることができる」という点である。「どうしてこんなことになったのか?」ではなく「これからなにができるのか?」「与えられたものをどう使うか?」を考える。自分の過去、環境、周りの評価(往々にして自分による観的な思い込み)、を原因として思い悩んだり、不幸になる必要は一切ない。この心理学は過去に縛られず、「自分の目的」を達成するために、人はいつでも変わることができる、そのことを肯定し、応援してくれるものだと感じた。「過去の〇〇のせいで自分はこうなってしまった」、「〇〇のせいで自分は不幸だ」という人にこそ、是非手に取って読んでいただきたい。
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