私の最近「やってしまった」出来事をシェアします。
一体、いつやるの?
1ヵ月ほど前、娘(中2)が英検(一次試験)を受検した時の出来事。その級の受検は3回目だったのですが、過去2回、娘はあまり本腰で勉強をしている様子がなく、前回不合格だった際は「次こそがんばる」と決意していました。私もいつにないやる気に満ちた彼女の姿を見て「よし、今度は私もサポートしよう!」と思っていたのです。
しかし、その燃えるようなやる気は数日で燃え尽き、あっという間に娘の日々はスマホとインターネットに夢中になる時間へと戻ってしまいました。学校や塾の宿題もあるのですが、「英検」の勉強は後回し、後回しになっていました。私が憶えた単語のテストをしようとしても、その直前の10~15分程度で詰め込んでいる始末でした。さすがに直前の週末は少しやりましたが、大人の私から見ると、まだまだ足りない量でした。兄も以前、同じ試験を受けているのですが、当時は私も必死だったので、単語テストを作ったり、過去問をやらせたり、その数倍の量を課していました。
でも、ここ数年で私も色々なことを学び、大人が色々なことを「押し付ける」ことの弊害を知るようになりました。私自身の経験を思い起こしてみても、中高生時代、親に「やらされた」勉強は結局実を結ぶことはなかったからです。いつも自分で「これではいけない」と目が覚めた時に初めてやる気になり、結果が出ました。本気度が違うのですよね。こちら(米国)に来てからは、現実問題として、日常は夫に子育てをメインでお願いしていることもあり、自然と、私から子供に「勉強をしなさい」という機会が減っていました。
でも、やっぱり、「試験前なんだからやるべき!」という親の(私の)思いは封印し切れず、やる気のない娘を見ながらイライラを募らせていました。そればかりか、こちらがたまに提案したテストも最小限に最小限にしようとする姿につい嫌味を言ってしまうこともありました・・・。まさに「いつやるの?」「今でしょ!」の気持ちが全面に出ていました。
どんよりした1日
そんなこんなで迎えた試験当日。自宅から車で1時間の場所(ニュージャージー州)に夫と娘の3人で行きました。
試験終了後、出口のところにお迎えに行くと、娘は浮かない顔をしています。「難しかった。リスニングがあまりできなかったかも・・・。」の言葉に私のテンションはスーッとさがっていきました。上述の通り、勉強量は十分には見えませんでしたが、もう3回目だし、前回は数点差で不合格だったので「もしかしたら、今度は大丈夫かな?」という淡い期待もしていたのです。でも、私の中で「(得点源のはずの)リスニングが取れなかったのでは、今回もダメに違いない」、と「勝手に」解釈してしてしまいました。
車の中で「あーダメだったかも」という娘に対して、私や夫はつい余計な言葉を言ってしまいました。「だって、勉強時間、少なかったじゃない。仕方ないよ。やるべき量の1/5くらいだったと思うよ。」なんてダメ出しをしていました。かける言葉は選んだつもりでしたが、後で考えると「(もっとやって欲しいと願う)親の思い」の押し付けでしかありませんんでした。
思い込みでどんんどん暗くなる娘と追い打ちをかける私たち、車の中の雰囲気はどんどん悪くなっていきました・・・。娘からは「せっかく頑張ったのに、私に労いの言葉はないの?」と言われましたが、「労うくらい頑張っていたの?」なんて返してしまう始末。まさに、「ダメ親の反応」オンパレードでした。
会場の近辺はアジア系の住民が多いことから、日本食のチョイスも色々とあります。私たちは昼食にお気に入りのお蕎麦屋さんに入ったのですが、そこでの会話も当然弾まず、私たち3人はどんよりと暗い雰囲気のまま、お蕎麦を食べました。会話の弾まない食事は楽しいものではなく、折角来たのに、この日はあまり、お蕎麦の味の記憶がありません。
まさかの展開
そんなことがあってから約2週間強が経過、ウェブサイト上で一次試験の結果発表がありました。私は結果を期待せずにサイトを開きました。しかし、「合格」の文字が目に飛び込んできた瞬間、私の心は驚きでいっぱいになりました。あの日の車内の雰囲気、試験直後の娘の言葉、それらすべてがこの合格の文字によって一瞬にして覆されました。私はすぐさま娘に知らせました。その「合格」の文字を見た瞬間、彼女の顔が輝き始めました。「ママ、本当に合格したよ!見て!」と興奮気味でした。やはり、嬉しかったのです。合格した喜びを全身で感じていました。私も一緒に手を取って喜びました。
でも、その後娘から言われたことは「ママは、私が落ちると思っていたでしょう。」という言葉。はい、そう思っていました…。そしてその「思い込み」だけで、当日~その日までの2週間強を過ごしていたのですよね。本来一番子どもを信じて、応援するべき立場の私が、思い込みで最悪のシナリオを想像し、その空気を家族にも伝染させていたのです。
同じ時間を過ごすなら
この話をストーリーテリングの講座で披露したところ、2人の方からコメントがありました。
一人の方は以前、待ち合わせに遅刻しそうな時など、ヤキモキ、イライラして気が気ではなかったけれど、ある時「同じ時間を過ごすなら幸せに過ごした方が良い」ということに気づき、イライラしないことにしたら、気持ちが穏やかになった、という話をシェアしてくれました。
確かに、私にも何度も経験がありますが、遅刻する、と焦っている時、最悪のことばかりが頭に浮かんできますよね。でも、その時たとえ焦ったとしても、結末が変わるわけではないのです。むしろ、「絶対間に合う」と信じていると、その通りになる、という話も聞きます。
もう一人の方は中学受験の当日、いつまでも支度をせずにグズグズしていたところ、お母様から頬を叩かれたことを思い出した、という経験をお話ししてくれました。お母様は後になり「大事な試験の当日に、自分はなんてことをしてしまったのだろう」と激しく後悔したと言われていたそうですが、その方はそのことで目が覚めて気合が入り、結果的に試験は合格されたとのこと。試験当日のお母様の焦る気持ちは親として、とてもよくわかりますし、娘さんの立場の感想もとても参考になりました。もっとも、こちらは日頃の関係性や状況により、きっと色々なパターンがあるのだろうな、と思います。
でも、こんな風に、何十年後にも試験の日の出来事が強烈に思い出されるのだとしたら、やはり、関わる人の影響って大きいな、かける言葉や行動の一つ一つは大切だな、ということを教えていただくきっかけになりました。
ワンメッセージは「一つ」ではない!
最後に、今回の娘の試験のエピソードから感じたことは、「(勝手な)思い込みで動くべきではない」ということと、「どうせ、同じ時間を過ごすなら、ハッピーに過ごした方が良い」ということです。「思考のクセ」を直すのはなかなか厄介ですが、今回の体験はそんなことを気付く良い機会になりました。
試験の結果は出るまでわかりませんし、勝手に悪い方を想像して、周囲の雰囲気を悪くすることは、すべきではありませんでした。それに、結果がどうであれ、そこまでの時間が変わらないのだとしたら、楽しい気持ちで過ごした方が幸せです。
同じ一つのストーリーでも、切り口により、様々なメッセージを伝えることができます。上記に加え、「考えを押し付けない」、「子どもを信じる」、「過去のことに固執せず、次に進む方が良い」などのメッセージを伝えることもできます。
皆さんも、何か心に残る出来事があった時、「このストーリーはどんなメッセージを伝えることができるだろう?」ということを考えてみて下さい。きっと複数の切り口が見つかると思いますよ。
コメント