ストーリーテリングについて語るブログ

まさか私が?~骨折体験記@NY(その6)

前回は術後の生活やリハビリをし始めたことなどについて書きました。

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リハビリ開始

術後2週間の診察で、ようやく待ちに待ったリハビリの許可が下りました。でも、まだ右足には荷重できない状態。相変わらず家の中でニースクーターを活用しながらの生活でした。

私が通うPT(理学療法士のいるリハビリ施設)までは家から1ブロック、徒歩5〜6分ほど。それでも、凸凹の多いニューヨークの道をスクーターで進むのは、ちょっとした冒険のようでした。小さな段差でも足を取られたら危ないので、常に気を張って移動。この時期は鍼治療にも並行して通っていましたが、こちらは数ブロック先。最初は友人に車椅子で連れて行ってもらっていましたが、後半はスクーターで自力移動することもありました。でも、この頃は数ブロックの移動も気が張るものでした。骨折前は通勤で片道20ブロック以上歩いていたのに…。

私の行くPTにリハビリに通っていた人たちは、すでに両足で歩けている人ばかりでした。彼らが普通のスニーカーを履いて歩く姿を見て、「私も来月、再来月にはこうして歩けるのかな?」と思いながら、羨ましく眺めていました。

でも、そんな風にリハビリを頑張る一方で、気持ちが追いつかない時間が続きました。

時間はあるのに、何もできない

リハビリに行くことや、家での筋トレは頑張ることができました。これは回復につながる」と思えることには自然と力が出たのです。YouTubeで骨折からの回復に役立ちそうな動画をたくさん検索し、片っ端から試してみました。さらに「リハビリ」という名前のプレイリストを作り、毎日数本こなすことを日課に。

そんな生活を続けていたので、周りから見れば私は元気に映っていたと思います。ㅤ

でも、その他のこと、特に発信に関しては、まったく気持ちが向きませんでした。

もともと私は、書くことや発信することが好きなはずでした。時間があるはずなのに、どうしても手が動かない。SNSの更新も、ブログを書くことも、スピーチに関するシェアも…「やるべき」と分かっているのに、できない。むしろ、「家にいて時間のある今こそチャンス!」のはずなのに、何もできない自分に焦りが募るばかりでした。

そんな自分がすごく嫌でした。お休みの日、YouTubeを見ながらソファに何時間も座り続ける自分を「なんて惨めなんだろう」と責めていました。そんな中、唯一ハマったのがNetflixのオーディション番組『Timelesz Project』。それまでは、休みの日に長時間テレビを見ることなんてほとんどなく、むしろ「家にいるのがもったいない」と思うタイプだったのに…。でも、外出ができない今、何時間でもテレビや動画を見て過ごすようになっていました。

「怪我しているんだから仕方ないよね」と自分を甘やかし、とことんダラダラ過ごした日々。今振り返れば、長い人生の中でそんな時期があってもいいのかもしれません。でも、それまでの行動的な自分が、突然強制ストップをかけられたようで、正直、辛い時間でもありました。

「発信」のカベ

それでも、講座やセミナーの講演など待ってくれている人がいる仕事はすることができました。「必要としてくれる人がいる」と思うと、動けたのです。でも、それ以上のことをする気持ちの余裕がありませんでした。

何かを書こうとすると、言葉が出てこない。SNSで投稿しようとしても、スマホを手にしているだけで疲れてしまう。以前は時々発言していた音声型のSNSのルームでも、スピーカー席に上がる気持ちになれない…。結局、骨折したことを発信した日から、次の投稿まで約2ヶ月も空いてしまいました。その間、ずっと気持ちがついていかなかったのです。

それでも、講座の時はスイッチが入るのか、何事もなかったかのようにニコニコと振る舞うことができました。表向きは変わらず元気に見えたかもしれません。でも、本当はこの時、カッコつけずに「大変だ」「しんどい」ともっと素直に発信してもよかったのかもしれません。

「どうするのが正解なのか?」それは今でもわかりません。ㅤ
でも、この時の私は、無意識のうちに「ちゃんとしていなきゃ」と思い込んでいたのかもしれません。

「弱音を吐かずに、いつも前向きでいるべき」
「しっかりしている自分を見せ続けなきゃ」

そんな気持ちがどこかにあったからこそ、発信ができなかったのだと思います。自分の中にある「こうあるべき」が、自分自身の言葉を止めてしまっていました。

ただ、貝のように眠っていたい

SNSを開くと、元気に活動する人たちがいる。それを見るたびに、どこか取り残されているような気がしていました。あっという間に1ヶ月が経っても、何も発信できていない自分がいました。

「このまま誰にも見つからず、眠っていたい。」
「何も考えず、ただ静かにしていたい。」

そんな気持ちになっていました。体は、足は動けるようになってきているのに、気持ちは動きたがらない。このズレが、自分の中でとても苦しかったのを覚えています。

少しずつ気持ちが前向きになり始めたのは、年末が近づき、夫が訪ねて来てくれる日が迫ってきた頃だったでしょうか。

本来なら、日本で年末年始を家族と過ごす予定でした。でも、この状況では帰国は難しく、チケットも泣く泣くキャンセル。子どもたちは既に変更できないチケットだったため予定通り帰国し(私の母に託して)、代わりに日本にいる夫がこちらに来てくれることになりました。

活動的に出かけることはできないことはわかっていましたが、「やっと誰かに頼れる」「一人で頑張らなくてもいいんだ」 と思うと、それまで張りつめていた気持ちがふっと緩むのを感じました。今まで助けてくれる友人達はいましたし、本当に彼らには感謝の気持ちでいっぱいなのですが、やはり遠慮する気持ちがいつもありました。

でも、家族が来てくれることは格別の安心感がありました。心の中の重りが、少しずつ軽くなっていくようでした。そして、今まで諦めていた「車椅子でお出かけできるかもしれないな」とワクワクする気持ちさえも出てきました。

次回は、少しずつ気持ちが前向きになっていった過程について書こうと思います。

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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