ストーリーテリングについて語るブログ

原体験を振り返ろう(その3)~自分の夢、叶えたかったこと(サンフランシスコ、東京編)

前回のブログでは、フランス駐在~帰国~育児生活について書きました。今回はその続き、サンフランシスコでの生活について書きます。
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サンフランシスコへ

夫の単身赴任中のワーキングマザー生活は4年弱続きましたが、ある時、夫にサンフランシスコ転勤の話が来ました。私は前回のフランスの経験から「もう一度海外でトライしたい」という思いがありました。でも、その後の子育てとの両立で疲れ切ってしまい、次に自分が行ける目途は全く立っていませんでした。それどころか、その時には私は「もう十分。次に夫の転勤が来たら、家族のサポート役として退職してもいいや。」という気持ちになっていました。

でも、そう考えている時に限って、なかなか海外転勤の話は来ないものです。次の話が来た時は、あっという間に12年が経っていました。折しも、その話が来る1年ほど前、職場で配偶者が1回に限り休職して帯同できるという制度ができ、私もその恩恵が受けられることになりました。数年前なら退職しなくてはいけなかったのですから、不思議なめぐり合わせです。
サンフランシスコ行きにより、夫の単身赴任生活にも、私のワンオペ生活に終止符を打つことになりました。私は「やっと家族4人で暮らせる」「今度こそちゃんと子ども達の面倒を見るお母さんになろう」と、意気込んでいました。これまで十分に行き届かなかった子ども達のケアや家事に専念し、家族に尽くすつもりでいたのです。この時のことについてはこちらのブログに書きましたので、よかったら読んでください。

「教育ママ」の日々

サンフランシスコには結果として4年弱滞在しましたが、その間家族4人で過ごし、子育てに専念できる時間は本当にかけがえのないものでした。家族で国立公園など色々な観光地を巡ったり、友達家族とキャンプをしたり、様々な体験をすることができました。

生活面では、初めて英語漬けの世界に飛び込む子ども達のケアをしようと、私自身試行錯誤で色々なことをしました。毎日英単語や漢字テストを手作りしたり、家庭教師の先生を探して来たり、夏休みには英語のキャンプを申し込んだり・・・。折角海外に住んでいるのだから、少しでも早くなじんで欲しい、そして帰国したら英語が武器になるようにして欲しい、でも(受験に備えて)日本の勉強も疎かにしたくない、などなど、子ども達自身ではなく、完全に「親の」願望であらゆることを進めていたように思います。

一方で、子どもに友達ができなかったり、学校でうまくいかない出来事があると、自分のことのように感情移入して落ち込みました。今思うと、子どもを自分の所有物のように見ていたのだと思います。そして、「自分は(今仕事を休んでいて)自由な時間がたくさんあるはずだから、できることを全部しなくては」と思い込み、必死になっていました。今思うと、本当に迷惑な母親です・・・。特に当時は1日家にいて、自由になる時間もありましたので、四六時中そんなことばかり考えていました。

できる人が、できることをㅤ

そんな育児生活にどっぷりつかっていた私でしたが、学校のボランティア活動を通し、働きながら子育てを両立するお母さん達を目にするうちに、少しずつ考え方が変わってきました。一般的にアメリカの学校では父兄のボランティア活動が盛んですが、仕事をしている、いないに関わらず、色々な人が色々な形で協力をしていました。必ずしも「自由な時間がある人=よく活動している人」ではなかったからです。

当時はまだコロナ禍前でしたが、シリコンバレーで勤務する人も多く、リモートワークをしながら子供たちの送り迎えをするお父さんたちの姿も日常的に見られました。父親と母親が固定的な従来の役割にとらわれず、柔軟に家事や育児を分担し合っている様子が印象的でした。

忙しいはずのワーキングマザーたちが仕事、子育てをしながらも、ボランティア活動をしたり、自分の時間をバランスよく楽しめている背景には、こうした家族の協力体制があったのです。実際にお母さんが働き、お父さんが専業主夫を務めるご家庭もありました。

そして、そんな家庭内でバランスを取りながら、育児と家庭の両立をしている彼ら、彼女たちの考え方は合理的で、提案することも無理がないものが多くありました。そんな彼らの存在を知り、「時間がある=四六時中子どものことを考えていられる」ことが必ずしもベストではないことを感じました。

そんな経験から、「私ももう一度あちら側(仕事)に行きたい」という思いが徐々に芽生えてきたのです。以前の私には、仕事と子育てを両立しながら生活を楽しむというのは、まるで仙人のような離れ技に思えました。でも、カリフォルニアでの生活を通じて、そんな生き方も「決して不可能ではない」と感じ始めました。家族で「できる時にできる人が」仕事と家庭のバランスを取りながら、自分らしい生活を送る、そんな新しい可能性が、この時の経験を通じて見えてきました。

東京で

サンフランシスコから帰国後は、再び仕事に復帰しました。4年近く休職をした後の復帰は正直憂鬱なところもありましたが、一方で再び仕事の場に戻れたことにホッともしました。「〇〇’s Mom(〇〇のママ)」というだけでなく、一社会人として社会と繋がっていられるということは、それまで意識もしたことがありませんでしたが、有難いことでした。

子ども達に対しては、当時より少し肩の力は抜けていたものの、小6の息子は中学受験を控えていたし、小3の娘は初めての日本の学校ということで、平日は仕事と子供たちのケアに追われる日々でした(相変わらずお節介に色々なことに首を突っ込んでいました)。

ようやく息子の受験が一段落し、春からの進路が決まってやれやれ、というタイミングで、思いもかけなかったことが起こりました。ある3月の朝、出社している私のもとに「今日家を出てから、会社に行けなくなった」という夫からのメッセージ。帰国後すぐに新規立ち上げの部署に配属になり、帰宅は連日深夜でした。環境の変化に加え、新たなプレッシャーもあったのでしょう。少々疲れ過ぎてしまったようです。

私にとって、夫はいつも私よりずっと大らかで、余裕があり、力強い人でした。いつも私の方が弱みを見せて、泣き言を言い、相談相手になってもらっていた防波堤のような存在でした。そんないつでも私を受け止めてくれていた夫が見せた初めての弱みに対して、最初は私もとても驚き、戸惑いました。

この時は夫婦で何度も相談しました。そして、出した結論は一度環境を変えることでした。3月も後半の時期でしたが、急遽4月からある地方都市に行かせてもらうことになりました。彼にとって、私たち家族にとっても、そうすることがベストの選択だったと信じています。

私は再びの夫の不在を心細くも感じましたが、前回の単身赴任時と違い、この時は「今度は私が支える番」とスッと受け入れることができました。以前の私だったら、その状況では不安で心細く、簡単に送り出すことはできなかったと思いますが、カリフォルニアで見たお父さん、お母さん達がしなやかに役割分担する姿を見てきたので、不思議とこの時は悲壮感はなかったのです。

幸い夫は新しい場所で、比較的すぐに元気を取り戻してくれました。福島時代と同じように、特段の予定がない限り、週末は東京に戻ってきてくれましたし、私たちは以前のように、平日は3人、週末は4人体制での生活を始めました。また、その頃には母も近所に引っ越してきてくれていましたので、気持ち的にはだいぶ落ち着いていたように思います。

そして私は、息子が中学生になり、もう以前のように勉強に介入することを止めました。実際に勉強が難しくなってきたこともありますが、忙しかったし、もう睡眠時間を削ってまで口出ししても、彼の人生にとってプラスになることはない、と感じたからです。少しずつですが、こうして私の子離れも始まっていきました。

その一方で、私はサンフランシスコ時代にやっていたように、学校の父兄の仕事に携わり始めました。以前は「できればパスしたい」と敬遠していた仕事でしたが、思い切ってやってみると、他のお母さん、お父さん達や先生とも仲良くなれて、とても楽しい経験でした。そして、仕事と家庭の他に、もう一つこういう場があるのは有難く、「こんな生活も悪くないな」と思い始めた矢先、やってきたのが新型コロナウィルスでした。

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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