ストーリーテリングについて語るブログ

原体験を振り返ろう(その3)~自分の夢、叶えたかったこと(海外へ)

前回前々回と「原体験」を振り返るシリーズを書いています。子どもの頃好きだったこと、苦労したこと、乗り越えたことについてお伝えしましたが、今日は「自分の夢、叶えたかったこと」がテーマです。皆さんは子どもの頃や若い頃、どんな理想や夢を抱いていたでしょうか?

私の場合は学生時代~社会人にかけて「海外に出たい、繋がりたい」という思いがありました。今回は私がどのようにその思いを抱き、育ててきたのか、今に至るのか、ということを振り返りながら書いていきます。個人的な話になりますが、どうぞお付き合い下さい。

湧き出る興味

海外ー私にとっては比較的身近な環境でした。父がその昔フランスに留学していたり、航空会社に勤務していたこともあり、我が家には飛行機や海外を常に身近に感じていました。でも、小学校の途中から、父とは離れて暮らすことになりました。その後、私は日本から出ることなく、普通の中高生時代を送っていました。

そんな私が初めて一人で海外に出たのが大学2年目の春休みでした。大学生になり、周りの帰国子女や海外に行った友だちの影響を受けたのだと思います。選んだ行先はニュージーランド。離れて暮らす父にお金の交渉をした時「治安の良いところにしなさい」と言われ、「ここなら大丈夫でしょう?」と何とか説得してお金を出してもらったのです。

20歳で初めて一人で行った海外、語学学校の仲間との交流も新鮮でした。その時出会った何人かの友達とは今も繋がっています。同郷の人、ヨーロッパから来た人、現地のマオリ族の血を受け継ぐ人など、たった1ヶ月の間のことなのに、なぜこんなに色々思い出に残っているのか、今でも不思議です。若さでしょうか?今同じ期間を同じ環境で過ごせたとしても、ここまでビビッドな記憶を持つことはできない気がします。

この経験から、堰を切ったかのように、私の海外への興味が湧き出てきました。以前のブログで書いたように、フランス語との出会いは既に始まっていましたが、並行して中高生の海外短期ホームステイ留学に同行する「グループリーダー」というボランティアの仕事も始めました。

最初のロサンゼルスを皮切りに、夏、冬、春休みなど長期休みの度にロサンゼルス、ロンドン、ニュージーランドなどに出かけていきました。無報酬でしたが、航空賃、滞在費を出してもらいながら、一緒に行くグループのお子さん達のフォローをしたり、受け入れ側と協力してイベントを企画したりするのが仕事で、学生の私には海外に行きながらパワーあふれる中高生や現地の人との交流ができる、またとない楽しい機会でした。

これはもともとその数年前から、私の母(小学校の教員をしていました)がやっていたのですが、当時は比較的長期休暇を取りやすい学校の先生たちがメインで担われていました。そんな中で、私のような学生も雇ってもらうことができて、当時はとてもラッキーでした。

お連れする生徒さんたちと同じように、私も現地のご家庭にホームスティをしていたのですが、先方からは私も学生の一人に見えていたかもしれません。それでも、生徒さん達とコミュニケーションを取りながら、彼らのホストファミリーや先生と話をしたり、最終日に主催する「Japan Night」のために皆で日本スーパーまで買い出しに行ったり、肉じゃがやちらし寿司を作ったことなど、良い思い出です。

フランスへ

私とフランス語との出会いについては前回のブログで書きましたが、その後、大学3年生の時にフランス留学に旅立つことになります。この時も、なんだかんだで父を説得してお金を出してもらいました。

渡仏時に父も一緒に来てくれて、寮を見つけたり、家電製品を購入するのを手伝ってくれました。娘が心配だったこともありますが、自分の学生時代を思い出して懐かしんでいたのかもしれません。当時の父はまだ40代後半でしたので、今の私よりも若かったんだなぁ、と思うと不思議な気がします。この後滞在したリヨンの街は子ども時代に過ごした横浜によく似ているな、と感じました。

フランスでは、最初は寂しかったけれど、徐々に色々な国の友達ができました。まだメールもなかった時代なので、今よりも連絡を取り合うのは難しかったのですが、まめに電話をかけあって会いに行ったり、日本に帰国してからも手紙を書いて、フランスや日本で会った人もいますし、(会ったこともない)その家族や友達にお世話になったことも。ㅤ

この時に私を助けてくれたのが「書くこと」。今は手紙を書く機会がグンと減ってしまいましたが、私は書くこと(手紙)で交友関係を広げたり、繋げることができていたのかな、と思います。「この人ともっと仲良くなりたい、また会いたい」と思ったら、自然と手紙を書いていたんですよね。今、私が「書くこと」を好きだな、と持っている原点はここにもあるのかもしれません。書くことで思いを伝え、より人と仲良くなれる、ということをこの時に体感していました。

海外に行く仕事がしたい

学生時代の短期留学、グループリーダー体験やフランス留学を通じて、私の「海外に出たい、海外と繋がりたい」という思いはますます強くなっていきました。海外にいると、「こうしなければいけない」「これしか道はない」と思っていたようなことも、色々な選択肢があることを感じました。日本で当たり前のことと、思い続けてきた自分の価値観が少しずつ変わっていき、「もっと自由に、色々な国を行き来したい」という思いが自分の中でムクムクと育っていったのです。

帰国後に取り組んだ就職活動で、留学前には名前も知らなかったところに入社することになりました。初めて本社に行った時、人事課の様々な国の渡航情報が入ったホワイトボードを見て、「ここで働きたい!」と胸が高鳴ったのを憶えています。「将来海外駐在がしたいです!」と無邪気に発言した一女学生の言葉を、当時の人事の人はどう受け止めていたのかはわかりませんが、その頃まだ女性の駐在員は数えるほどしかいませんでした。

こうして社会人になり、7年目のある日、ふっと思いもかけないフランス駐在の話が舞い込んできました。当時の勤務先の大阪での出来事でした。海外にはずっと行きたいと思っていたけれど、まだ当分先のことだと思っていました。2000年代前半の当時、女性駐在員は数年に1人のペース。欧州にはまだ1人もいませんでした。なので、「私で務まるのだろうか?」という思いや、躊躇する気持ちもありましたが、同時に「チャンスだ」とも思いました。

今ここでこのチャンスを逃してしまったら「次」はないかもしれない。そう思うと、躊躇している場合ではありませんでした。2日悩んだ末、人事課長に「行きます」と電話で答えた後は、腹が決まった、というか妙に気持ちが引き締まり、すっきりとした気分でした。

続きはこちら。

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この記事を書いた人

米・ニューヨーク在住。ストーリーを使った「ストーリートーキングⓇ講座」認定講師。スピーチコミュニティ「伝わる!スピーチ道場」主宰。
こちらのブログでは「ストーリーテリング」、「スピーチ」を中心に、書くことで人の強みを発掘し、話すことで相手の心を掴む話し方、をテーマに書いています。

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